たまたま妻と外食したときに“人の器”の話になりまして。
僕は人の器の大きさをなんとなくでも見極める自分なりの基準を持っています。
出会った時の第一印象、会話、文章、見られ方、人との関わり方、一つのテーマに対する発想、社会との距離感などなど。
もちろんコレに正解不正解はなくて、全部僕自身に降りかかってくる判断基準なんですが。
ではなぜ僕がそんな基準を後天的に持ち合わせてきたか?と言えば…
『自分の器の小ささ』を限りなく自覚してるから。
やはり自分の器を意識してる日々を過ごしてきたからじゃない?と。
で、そんな器の大きさを比較して競ってしまいがちな日々から、自身の器のサイズを適格に認識できる様になったからこそ、
人の器について語れるオトコになれた…
と、一人勝手に語りながら悦に浸るワタシ。
翻り。そういった評価基準をまったく持ち合わせない彼女。
一生懸命僕がそういったことを話しても、ふーん。てな感じで耳を傾けているだけ。そして一言。
『で、私はどうなの?』
…うんまぁ、限りなく大きいかと思います、はい。
◇◆トピックス◇◆
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