今年もセラピストたちやその世界を見ていて改めて心することがありまして。
どれだけ素晴らしい(とされる)セラピー技術であっても。なぜ社会から評価される、されないの違いが生まれるのか?
歴史的な重みや権威付けされたセラピー技術が評されているか?と言えば実はそうではなく、
沢山のセラピストが生み出された技術が評され続けているのか?と言えばそれもまた違う。
かといって目新しいセラピー技術が評されているか?と言えばそれもまた、ね?
そこで2019年もまたプロフェッショナルなセラピストたちをじっと見ていて感じましたのは。
目の前にいる、たったひとりのクライアントにどう評されるのか?に集中しているセラピストのセラピーこそが評されるベースであるということです。
そこからの積み上げや広がりは目の前のたったひとりのクライアントから。
ちなみに集中といっても。なんだろそれがその瞬間だけ物凄い集中で、、まぁ尋常じゃありません。
僕のように、ある枠組みにおいて評されるを規模や数やインパクトといった普遍的な評価基準で見てしまいがちな立場におりますと。
そのあたりがボヤけてしまうのだといつも彼らを通して気づかされます。
『身につけた技術そのものをアイデンティティとしちゃダメだよ』なんて事をセラピストたちに語りますがそれは裏返せば。
身につけた技術の先にいる人こそがセラピストとしてのアイデンティティをカタチつくってくれるのだ、との想いからなんですよねぇ。
◇◆トピックス◇◆
【書籍ご紹介】
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